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それでも私は命ゆだねる 私だけに~♪  [エリザベート]




はいさぁい♪みなさん元気ですかぁ~♪





行ってきましたよ~、、2回目のエリザベート^^


今回は、
「エリザベートはトートを愛したのか」
っていうことを考えつつ、
エリザベートとトートの関係を気にしながら、、
観ようなんて思ってたんだけど、、
実際に観劇して、いろいろなこと感じたり考えたりしてたら、、
やっぱり、わけわからんくなってきました^^;




一応、、ストーリーを整理しながら、、書いてみましょうね。

※ネタバレだらけです※



自由奔放に育っていたエリザベートは、
ある日、木から落下して、死の淵をさまよう。
そのとき、エリザベートの前に現れたのがトートである。

トートは、エリザベートの魂に触れ、エリザベートを愛してしまう。


♪お前の命奪う代わり 生きたお前に愛されたいんだ♪


♪お前の愛を勝ちうるまで追いかけよう♪「愛のテーマ~愛と死の輪舞」

とうたい、

そして、エリザベートを救う。




このときから、エリザベートとトートの物語が始まる。




トートは、エリザベートに愛されたいと思うわけだけど、
エリザベートは姉ヘレネのお見合いについていった際に、
フランツに見初められて、、フランツと結婚をする。


そのふたりの結婚式は、

♪すべての不幸をここに始めよう すべての不幸がここに始まるのだ♪

っていううたで始まるんだけど、、

この結婚式で、、エリザベートのドレスのベールの先を持っているのがトートであり、
この結婚式から、、エリザベートの人生やハプスブルク家の歯車が少しずつ狂ってくる。


結婚式の最後、

「すべて汝の意思であることに間違いはないな」

とトートが聞き、

「はい」

と答えるエリザベート。


これが、エリザベートがトートに対して一番最初に決別を宣言した瞬間だった。




この結婚式以降、、
エリザベートにはトートという存在が常に付きまとうことになる。
(トート=死だから、、常に付きまとうっていう表現が正しいかはわからないけど。)




まずは「最後のダンス」

トートは、

♪あなたの愛をめぐって 皇帝陛下と争う あなたは彼を選んだ 私から逃れて♪

とエリザベートに宣戦布告をするかのように静かに怒りを告げ、


♪最後のダンスは俺のもの お前は俺と踊る運命♪

とエリザベートに言う。


この曲最初は静かに入り、、途中から激しくなるんだけど、
トートの静かなる怒りや嫉妬から、、なんというか、
とても激しい感情が表現されているわけで、、
その激しいときのダイナミックさは、、とてもカッコいい。




その後、
トートはエリザベートの長女ゾフィーの命を奪い、「闇が広がる」をうたう。


この「闇が広がる」、、静かにうたうんだけど、
ここでも静かな中にもフランツを選んだエリザベートへの怒りがとても伝わってくる。

でも、それととも、何か、、トートの淋しさみたいなものも感じられて、、
なんか、、すごく切なくなったりもするんですよね。。




さらには、宮殿で「自由」もなく、窮屈に過ごすエリザベートに対して、


♪今こそお前は自由になれるのだ 終わるときのない永遠の世界へ 

                             エリザベート 行こうよ ふたりで♪

って、誘惑するんだけど、


♪嫌よ 逃げないわ 諦めるには早い 生きてさえいれば 自由になれるわ♪

と言われ、、拒絶される。

「エリザベート(愛のテーマ)~エリザベート泣かないで(愛のテーマ)」


このとき、エリザベートは少し気持ちが傾いてしまいそうになるのを、
強い意思をもって、、拒絶するんだけど、、

なんていうか、、この場面って、、
エリザベートは「死」を意識したんですよね、、多分。


というか、、トートがある意味ではエリザベートの影の部分を表しているのかな、、
って感じるところで、

トートが誘っているようで、、
それは、実はエリザベートのもうひとつの顔、、
「死」を求めている部分として表現されているんじゃないか、、
と思ってもいるんですよね。。




1幕フィナーレ、、


♪お前に命許したために 生きる意味を見つけてしまった♪

ってトートはうたうけど、、

エリザベートが見つけた生きる意味っていうのは、、
それこそ生きて「自由」を手に入れることなんですよね。

それが、、エリザベートの最後のことば、、

♪私が命ゆだねる それは 私だけに♪

ということばに込められているんだと思う。




ここまで書いてきて、、すでに、、よくわからない方もいらっしゃいますよね?

書いている僕がまずよくわかっていないのですが^^;



ってか、、
トートはエリザベートを愛している、、エリザベートに執着する男、、
ではなく、、「死」であるわけで、、

この「死」に愛されたエリザベートっていう物語の中で、

トートとエリザベートの恋愛のように表現しているところもあれば、

「死」が常にエリザベートと隣り合わせにあって、、
「死」=「自由」ともとれるような表現になっていたりもして、、

さらには、、
その「死」を求めるエリザベートの気持ちが、トートとして表現されているように感じられて、、

なかなか解釈が難しかったりもする。


そのときの自分の感情によってもその都度感じ方が変わってしまう。


でもまぁ、、それがミュージカルのおもしろいところなのかもしれないですけどね。





2幕の最初、ハンガリーでの戴冠式の後、
エリザベートとトートがふたりでうたう、「私が踊る時」

エリザベートは、、

♪人形のように踊らされた私が 自分の道を見つけた♪

といい、


♪ひとりでも私は踊るわ 踊りたいままに好きな音楽で

   踊るときはこの世終わるその刹那も ひとり舞うあなたの前で♪

(前は、「踊るときは命果てるその刹那も」だった気がするんだけど、、歌詞変わったのかな?)


ってうたう。


さらには、

♪もうひとりだけで飛べるわ 自由になるのよ♪


とうたう。


それに対し、トートは、

♪俺だけが 自由を与えることができる♪


と言うがエリザベートは、

♪やっと歩き出した私だけの道を 邪魔しないで♪


と返す。



そして、最後にふたりでうたう。


♪踊るときは選んだ相手と 踊りたいままに好きな音楽で

   踊るときはこの世終わるその刹那も ただひとり愛する人と

      踊るときは 全てこの私が選ぶ♪


エリザベートは、トートの愛を拒絶し、
トートは、最後は必ず私と踊るとうたうこのシーンは、
メロディも綺麗で、ふたりの強い気持ちとその気持ちのズレがとても良く表現されていて、
聴いていてゾクゾクする。

ってか、、あの綺麗なメロディで、こんなに強い気持ちをうたっている事自体、
ある意味ではアンバランスな感じがして、そこがまた良いところなんでしょうね。

最後のハモり、、トートが上のパートをうたうんですよね。
それがね、、なんか、、
俺がすべてを支配しているんだっていうことを表現しているんじゃないかぁ、、
っていうのをすごく感じちゃうんですけどね。




で、、強気にトートの愛を拒絶したエリザベートも、
精神病院のシーンでは、

♪私が戦いつづけ手に入れたものはなに 孤独だけよ 耐えられず気が狂いそうになるわ♪

とうたい、


♪あなたの魂は自由だわ♪

と患者に言う。


生きている中で、「自由」を手に入れようとしても、
実際には、強い皇后を演じることしか出来ず、
身体も魂も「自由」を手に入れられない苦悩をもらしている。

でも、このシーンにはトートは出てこないんですよね。

なんでなんですかね。。

おそらくは、、このシーンでは、
エリザベートが「死」を求めているわけではなかったからなんだろうと思う。

なぜかというと、、患者に対し、自分の思いを吐き出してしるから、、
この場所では、エリザベートも自分を抑えずに心を解放できていたからじゃないかな。。




その後、、
エリザベートが体調を崩し倒れたときに医者を呼び、診察を受ける。
そのとき、医者の診断でフランツに裏切られたことを知るんだけど、、


♪本当なら許せない 王宮から出て行くわ♪

と言い、

「いえ、命を絶ちます!」

と告げる。


すると、、医者は、

「それがいい エリザベート。」

と言い、、
羽織っていたマントを投げ捨て、、トートが現れる!(大興奮!!)


♪今こそ出掛けよう黄泉の国へ お前を愛する俺とふたりで♪

と、エリザベートに迫る。

このシーン、、とても迫力あって、、かなり好き。
「最後のダンス」のメロディなんだけど、、本当に迫力満点。


それでも、、


♪彼が罪を犯したなら 私自由になれる♪

と言って、、トートを拒絶するエリザベート。


♪おまえが求める それはこの俺だ♪

そう言い放つが、、


違う!

まだあなたとは踊らない。


そう叫ぶエリザベート。



エリザベートは生きて「自由」を得ることをまだ諦めていない。
いや、、諦めそうになった自分を一生懸命抑えているからこそ、
あのような強い言い方になったわけで。

それを聞き、トートは去るんだけど、、
そのときのトートの後姿、、本当に淋しそうなんです。

この瞬間のぶつかりあいって、エリザベートの葛藤を表しているんですよね。




この後、、フランツの裏切りに失望したエリザベートは放浪の旅に出てしまう。
長い年月、、放浪の旅を続ける。
その間、、
一人息子である皇太子ルドルフは母であるエリザベートの愛を受けずに育つわけだけれども、
その彼が少年のときトートが現れ、、トートはルドルフと友達になっていて、、

成長したルドルフは、、独立運動を起こすが失敗に終わる。

その後、久しぶりにルドルフと再会したエリザベートは、
ルドルフに父フランツとの仲を取り持つよう助けを求められるが、
それを拒否する。


最後の望み、母にまで拒否をされ、絶望の淵に立たされたルドルフに、、トートが近づく。。

そして、、ルドルフは自ら命を絶ってしまう。




これが、、このミュージカル一番の見せ場なんだけど。

ルドルフとトートの二重唱「闇が広がる」からの流れなんだけど、、
トートとルドルフの関係については今回は割愛しますね。
あ、よろしければ、、まーくんのブログ、、
空論X・・・6月17日「エリザベート 鑑賞」読んでみてください。




ルドルフのお墓の前で、、
エリザベートは、、自分の行動を悔いる。(「死の嘆き」

♪ママは自分を守るためあなたを見捨ててしまった この罪は消せない♪


そして、、トートに対し、

♪あげるわ 命を 死なせて♪


というのだけれど、、

♪まだ私を愛してはいない♪


とトートは言い放ち、エリザベートを拒絶する。



ここって、、すごい場面ですよね。

今までと、立場が変わったんです。

なぜ、トートは「まだ私を愛してはいない」と言ったのか。。


今までは、、エリザベートは「死」を求めこそしたけど、
「死」を望んだことはなかったんじゃないかと思うわけで、

なんか表現するのが難しいんだけど、

今までは、生きて「自由」を手に入れたい、
が、、心のどこかに常に「死」というものが存在していて、
その狭間の中で、、常に、生きる選択をしてきたんだけど、

今回初めて本気で「死にたい」と思ったから、、
だから、、「死」から拒絶されたんじゃないか、、って思うんですよね。


さらに考えてみると、
この記事の真ん中らへんで書いたけど、、
「死」=「自由」なんだとしたら、

今までは、「自由」を求め、それが「死」なのかもしれず、
どちらにしても、「自由」を求めていたのかもしれないけれど、

今回については、、「自由」を求めて「死なせて」って言っているわけじゃないから、
そういう意味でも、トートは拒絶したんじゃないかな、、と思うわけで。。




そんな悲しみに暮れたエリザベートは、
フランツと久しぶりに再会し、、月の輝く夜、、話し合う。(「夜のボート」
(2012年6月17日・・鎖を解くのだ 救うのはこれだ~!♪@ミュージカル参照)


そこで、、

♪人生の最後は寄り添いたい♪

と言うフランツに対し、

♪無理よ 私には♪

と答える。




このとき、、エリザベートの愛はもうフランツにはなくなっている。




そして、、最後の場面に行くんだけど、、
最後、、トートの指揮のもとで、ハプスブルク家の崩壊が始まる。

♪全ての不幸がここに始まった ハプスブルクの栄光の終焉♪

この「悪夢」の場面、、結婚式と同じメロディなんだけど、
ハプスブルク家の崩壊が一気に進んでいく。

ここ、、すごい迫力で気持ち悪さ全開で、、本当にすごいです。


そして、トートとフランツが言い合う。

♪エリザベート私のもの 彼女は俺を愛している♪(トート)

♪わが妻だ 恥を知れ 何をたわけたことを♪(フランツ)


続けてトートは、

♪俺だけが与えられる 自由を 鎖を解くのだ 救うのはこれだ♪

と言い放ち、ルイジ・ルキーニにナイフを渡す。




ルイジ・ルキーニは、、
そのナイフを使って、、エリザベートを暗殺する。



そして、、エリザベートは最後にトートとうたうんです。(「愛のテーマ」


♪今こそお前を 黄泉の世界へ迎えよう♪(トート)

♪連れて行って闇の彼方遠く 自由な魂安らげる場所へ♪(エリザベート)

♪沈む世界に♪(トート)

♪別れを告げたなら 終わる時のない永久に旅立とう(エリザベート&トート)


♪泣いた笑った くじけ求めた 虚しい戦い 敗れた日もある♪(エリザベート)


♪それでも私は命ゆだねる 私だけに♪(エリザベート)

♪それでもお前は命ゆだねる 俺だけに♪(トート)


最後の色つきの部分は一緒にうたうんだけど。



ここで、、このミュージカル最大のテーマ(?)ともいえる、、
「エリザベートはトートを愛したのか」
っていうことになんだけど、、

僕は、、
「エリザベートはトートを愛したわけではない」と思う。


なぜならば、エリザベートは生きて「自由」を求めたが、
ルイジ・ルキーニに最後は刺され、「死」を迎えた。

彼女はその、刺されたとき、「死」を望んでいたのか、、
っていうことがどうもしっくりこなくて。

ただ、、刺された瞬間に、
これで「自由」になれる、、って思ったんだとしたら、、
それはもしかしたら「死」を望んだことになるのかもしれないけど、
その場合、
「トートを愛した」のではなくて、「トートの愛を受け入れた」っていうんじゃないかな、、
って思うんです。


それに、、最後のエリザベートのことば、、

♪それでも私は命ゆだねる 私だけに♪

なんですよね。


トートを愛したなら、、ゆだねるのは、、「私」じゃないと思う。



最後、トートがエリザベートにキスをするときも、、
トートからキスをしていて、エリザベートからは寄っていっていないように見えたんですよね。

もしトートを愛したなら、エリザベートからも寄っていくと思いませんかね。


だから、、今回見た限りでは、、
「エリザベートはトートを愛したわけではない」っていう結論に達しました。



で、、もうひとつ、、「死」=「自由」については、、

まぁ、、トートが誘惑のときや最後にも言っていたように、
生きている間は、、「自由」というものは存在せず、
死ぬことによって「自由」になるっていうのがしっくりくるな、、って思いました。


これは、、ルドルフのお墓の前でエリザベートが、

♪私たちは鏡どうし この世で休めない今 あなたは最期に 安らぎを得たのね♪

ってうたっています。(「死の嘆き」

そこからも、そういう解釈でいいのかな、、って思います。




ってか、、
「死」というものを擬人化することによって、
怒りや嫉妬、悲しみ、っていう感情が表現されているから、、
やっぱり、、
トートっていうのは、エリザベートの影の部分を表現しているのかなぁ、、
なんて思うんだけど。


エリザベートは生きて「自由」を求めた。

でも、、「自由」=「死」だった。

「死」=トートなわけで。


生きて「自由」を得たいが、
「自由」は生きて得ることが出来ないものであり、
「死」によって得られる。

ただ、自分から「死」を選ぶことは許されないわけで、
エリザベートがその狭間で揺れ動く様を描くために、
トートという「死」を擬人化したもので表現したのかなと思ったりもしました。


ずいぶん長くなっちゃったけど、、
今回エリザベートを観て、、
エリザベートとトートの関係についていろいろ考え、感じちゃいました^^




ここまで、読んでくださった方(って、、いらっしゃいますかね?^^;)、

本当に本当にありがとうございました。




エリザベートを観たことない方にも少しはわかっていただけるように、、
と思って書き始めたのですが、、
途中からは、、
なんか、、自分の頭の中もよくわからなくなっちゃったので、、
読みにくかったかな^^;



もし興味がわいた方がいらっしゃいましたら、、

今公演、、あと2日あります^^


明日26日は、昼の部と夜の部。

あさって、、27日千秋楽は昼の部。


当日券、並んでみてはいかがでしょうか^^


無理な方、、
次回公演があるときはぜひぜひ、観てみてください^^



ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。



明日も1日笑顔で楽しく過ごせますように☆



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