この一週間の苦悩。 [日記]
運命
それはときには残酷なものであったりもする。
僕はこの一週間、、
ずっと、、苦悩の中にいた。
出逢ってしまったがために、、苦しくなる。
なぜ、出逢うまで、待つことができなかったのか。
なぜ、今、このタイミングで出逢ってしまったのか。
「出逢う」ということは、とても素晴らしいことであるはずなのに、
僕は、、今、とても苦しい。
もし、出逢うまで待っていたら、、それでも本当に出逢えただろか。
もし、出逢う順番が逆だったら、、僕は本当にこんなに苦しまなかったのだろうか。
でも、、そんな「もし」を考えても、
今となっては意味がない。
これから先、どのような未来が待ち受けているかなんて考えもしなかったわけで、
それでも、僕はそのとき「選択」をした。
その「選択」があるから、
「今」がある。
そういえば昔、、「選択」について、、書いたことがあったっけかな。
(2012年1月10日・・選択@想い参照)
http://gusukunoashiato.blog.so-net.ne.jp/2012-01-10
この苦悩を終わらせるには、、「今」の方を一度やめればいいのか。
そして、
「出逢った」方に行けばいいのか。
でも、それでは中途半端になるのではないか。
だとすれば、
「今」の方にとどまることがいいのか。
だが、僕の気持ちは「出逢った」方に傾いているのに、、
本当にそれでいいのか。
僕の気持ちは、、どこにあるのか。
「今」の方に対しても、「出逢った」方に対しても、、
どちらに対しても、、中途半端な気持ちではないのか。
この苦悩は、、この前のスシローのときの決断に似ているのかもしれない。。
(2013年10月2日・・決断。@日記参照)
http://gusukunoashiato.blog.so-net.ne.jp/2013-10-02
そんな苦悩の中、、
僕は、、「今」の方を選びながら、「出逢った」方に気持ちが向いている。
やっぱり、、
「出逢った」方が逃げるわけじゃないし、
時が経てば、必ず「出逢った」方に行くわけだし、
今は、とにかく前に進むしかないのかな、、
と思ったわけで。
と、、そう思いながら前に進んでいると、、
少しずつ、、楽しくなってきた。
もしかしたら、、
このまま、「出逢った」方を忘れられるかもしれない。
そう、、そんな感じがする、、今。
ラスコーリニコフの精神状態の描写が、
今の僕にはとてもおもしろく感じる。
ダンヴァース夫人に心惹かれるけれど、
ひとまず、ラスコーリニコフの世界を楽しもうと思う。
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